2023
07/18

ゴキブリと泉

腋にかいた汗が肘に伝う。

限界を感じ、エアコンをつけた。

するとファンの音と共に、鮮やかな赤茶色のゴキブリが吹出し口から這い出してきた。動きの覚束なさから、まだ成虫になって間がないようだ。このまま繁殖されたら困る。とどめを刺したいと思うのだが、腰が引け、心音は拡大、ふくらはぎも硬直。私には叩いて殺す勇気がなかった。

どうしたものかと思案しているうちに、コロナ禍で手に入れたアルコールスプレーを思い出す。仕事部屋を後にして、戻るといなくなっていた。

後日、毒餌を購入。部屋の4隅に設置。

どうか。知らぬ間にいなくなりますように・・。

ゴキブリと言えば、兄が昔、ゴキブリを飼おうとした事があった。ゴキブリと言っても山にいる珍しい種。山奥に入り、道なき道を分け入って捕まえてきたのだ。

その希少さを解説している姿は誇らし気。興奮も伝わってきた。だが、見た目は既知のゴキブリ。普段、兄の趣味には何も言わない母も、不快を露わにする。反論するも、最後には近くの公園に逃しに行くことになった。

そんな兄に「家に出るようなゴキブリは飼いたいと思うの?」と聞くと「飼うわけないやろ!」と即答された。そこの意見は合致するのかと、不思議な気分になった。

家に出るゴキブリも山にいるゴキブリも私にとって変わりはない。だが兄にとっては違う。ナタを頼りに山に入り、苦労して出会った希少な虫。それを帰るなり、害虫呼ばわりされた。さぞ無念だったろう。

比べるのは申し訳ないが、私の好きなデュシャンの作品だって、人にとっては価値がないものだろう。彼の『泉』はトイレだ。誰かに「ただのトイレじゃねぇか!」と言われたら、私に論駁は可能なのだろうか。“ネーミングだけで見え方が変わる。”とか御託は浮かぶ。しかし私にとって「泉」は「デュシャンの作品」ということが一番の価値かもしれない。そんな状況になれば、押し黙るしか無さそうだ。

デュシャンの冷笑が脳裏に浮かぶ。

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